ラグジュアリーブランドの魅力と最新トレンド 体験レポート:BALENCIAGAのトリプルSスニーカー

体験レポート:BALENCIAGAのトリプルSスニーカー

今年最も熱いスニーカーを、ジェイミー・ローレン・カイルズが斬る

私の元に届いた無料の Balenciagaトリプル S スニーカーは、後で何かその中に保管するのに使いたくなるような、贅沢な段ボール箱に入っていた。その剥き出しのマッチョな入れ物は、ザラっとしたベラム仕上げで、頑丈な蓋がついていた。取り出す際は、無駄に奥深くはまった蓋を引っ張り出すのに、格闘せねばならなかった。その箱は、気軽にゴミと呼べるような物にはほど遠く、むしろIKEAのフットスツールに近かった。だがこれほど豪勢な梱包も、その中に鎮座していた靴の「盛りっぷり」からしてみれば、まだ序の口だった。

Balenciagaトリプル S は、デコレーションケーキのようなスニーカーだ。さまざまな趣のスエードが高さ8cm弱の入れ子状のラバーソールに積み重ねられた、まさに砂糖菓子である。850ドルもするこのスニーカーは、パソコンとアパートそのものを除けば、私のアパートにある他の何よりも断トツでいちばん高価な物だ。この1足は、私の持っている服すべてを合わせた値段で転売することができるだろう。まあ、私が「ファッション好きな人間」ではなく、エバーレーン信者の基準で考えても、きちんとした身なりとは言えないからなのだが。いずれにせよ、どう考えても、私は今年最も熱いスニーカーを無料で受け取るには値しない人間だ。だがメディアは崩壊し、人生は不公平だ。それゆえ、最後に「喪女」が勝つこともたまにはある。

記念すべきトリプル S をデビューさせる日、私はグレーのバギージーンズと、ワインレッドのクルーネックのスウェットに合わせることにした。目指すは、私があまりに薄汚れた格好をしているために目を伏せたくなった人たちが足元を見て、私はファッション通なのだと考えるような、そんなスタイルだ。ソールが初めて外界の土に触れるときがきた。私が普段出回っているクイーンズの近所の通りに繰り出す。もっと真価のわかる人が集まる場所を求め、ブルックリンとの境のおしゃれな地区にあるブック カフェまで、20分ほど歩いた。そこでばったり出会った大学の知り合いは、一目見て、私の足元の靴に気がついた。見られているという喜びに我を忘れた私は、この靴の輝かしい特徴についてもっと詳しくコメントしようと、身をかがめて片足のスニーカーを脱いだ。グレー地に原色のパッチ、つま先のサイズ番号の「39」、そして価格。そこから話題は自然と、労働階級に転落するのではないかという不安、アート分野でのキャリア、そして昨年の年収が2万8000ドルだったのに、たまにこんなにも高価なものを無料で得られることへと移っていった。そして脱いだ靴をまた履き直す。このときの私は、靴を脱いでは一演説打つという、全く同じ一連の行動を、その週に少なくとも5回は繰り返す運命にあるとは思いもしなかった。

次に私がスニーカーを履いて出かけた行き先は、ソーホーだ。電車の窓に映った自分の足元をじっと見ているうちに、そこで中国語を話す女性ふたりがスニーカーに畏敬の念を抱いて褒めそやしていると、自分が確信していることに気づいた。公共の場でトリプル S を履くことは、マイナーなセレブになるのに、とても似ている。人から気づかれなかったらどうしようと不安になる一方で、実際に気づかれた場合はうざったいと感じる。私はキャナル駅で下車し、マーサー ストリートを歩いて、Philipp Pleinの店の外で男が数人、電子タバコを吸う横を通り過ぎた。私の気分は高揚していた。そして、これが昨年2ヶ月間痩せていた時期の高揚感と似ていることに気づいた。そこには、女性としてあるべき基本的な美の基準を満たしているという、浅はかだが大きな満足感があった。トリプル S は視覚のイリュージョンを作り出す。つまり、あまりに不器用で大きく膨らんだ形のために、その近くにあるものは何もかも、敏捷で痩せ細ったように見えるのだ。今年はノスタルジーが流行なのに、私はまたダイエットに失敗してスリップドレスが着られなかったところなので、女性として、自分の理想体型をミッキーマウスに近づけられるチャンスを得られたのは、喜ばしいことだ。とはいえ、トリプル S を履いた姿が華奢に見える一方で、靴自体はそれほど軽快な感じがしない。街で長い1日を過ごした後に家に帰ると、私の足は疲れ、むくみ、特大サイズになった気がした。体がトリプル S そのものになったかのようだった。

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